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修行

この1週間程、回峰行、護摩行など特に行じました。行はやらせて頂くことで誰かにやらされるという感覚では修行になりません。

山を登拝し、護摩を修し、読経を一心でお唱えする。真言行者としてそれは日常のことでその日常に感謝することから仏教、密教の知恵を授かるものだとおもいます。

そして修行はなにをした、どれくらいのことをやった、すごいことをやった、など何かと比較したり競い合うようなことに意識がいくなどでは修行にはならないのだとおもいます。

自分に向き合い集中し、仏に向き合うこと。

すれば何をやっていても修行になるし、普段の生活でも十分修行となる気がします。

大切なことは禅定し丁寧に生きること、そんなことが身についていくことかなと生意気ながらも思うところです(^^)

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